青野セクウォイア

灯篭人間

セルベジャンテ、もみの木、電球、フィルム
120×69×98cm
2021

参考価格: 500万円以上

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(メイン作品について)
関ヶ原にある石材所の一部をスタジオとして間借りするようになって、数年が経つ。近年は日本にいる時間のほとんどをこの場所で過ごしている。
スタジオの近所を車で行き来していると、よく道端に石の灯篭が立っていることに気づく。東京で育った私にとって、それは少し珍しく、奇妙な光景だった。近所に石材所が多いことも関係しているのだろうか。
そんな中でいつの頃からか、隣町に移動するときに目にする1つの灯篭が何となく気になり始めた。一言でいえば、その灯篭はまるで人間のように見えるのだ。ふとした拍子にそれが視界の隅をかすめると、誰かとすれ違ったと錯覚して振り返ってしまう。サイズやプロポーションが直立した人間に似ていて、火袋のあたりからは目線を感じる気もする。灯篭自体はそこまで古いものではなく、「石に魂が宿っている」とか、そういった怪談めいたことを言いたいわけではない。私にはたまたまそう見える、というだけの話だ。
今展でメインとなる作品は、そんな日常の1 コマに端を発している。人のような灯篭を見ているうちに、人間と灯篭を組み合わせた彫刻を作ってみたくなったのだ。そして制作を進める中で、それは次第に私にとって重要な意味を持つモチーフだと思えてきた。死者の魂を導き、弔うという灯篭の機能は、私が歩む「彫刻」という道を照らしてくれるものだとも感じられる。芸術や創造は、どこか冥界のような場所と繋がっているからかもしれない。
あるいは「何かを照らすために立っている」という状態は、それ自体は主役ではなく、いわば引き立て役・脇役にすぎないということを意味している。「目立つこと」をなるべく避けて幼少期を送った自分にとって、それは少し親近感を持てる在り方だ。そんな存在が主役になる作品を作ってみたいと私は思った。
そしてこの作品を中心としたいくつかの新作を加えた石と木の作品たちを、インスタレーション的に配置する。構成要素の中には、「4」や「13」といった、日本や欧米で不吉とされる数字が隠されていた。今回新作を加えることでどのような変化となるか。また私が普段ベースとしている西洋の彫刻技術のみならず、仏教美術や石庭など、アジア的な造形を参照した部分もある。これら1つ1つの発想の組み合わせも、きっかけはあくまで日常の思いつきに過ぎない。しかし同時に、現在のコロナ禍において、私のもう1つの拠点であるニューヨークでアジア人が厳しい立場に追いやられていることなどが、制作のプロセスにも影響している。アジアや欧米の文化を見直し、今一度自分のアイデンティティを捉え直し表現したい、という思いが今の私にはある。今回の展示が、この厳しい状況下にも関わらず会場に足を運んでくれた人たちにとって、わずかでも未来を照らし出すものとなってくれたら、と思う。

Artist Profile

青野セクウォイア

青野セクウォイアは1982年ナポリで生まれ、東京で育ち、東京藝術大学院・彫刻専攻を修了した。翌年からニューヨークに活動範囲を広げる。
主に石彫・木彫の人物作品を数多く制作している。
近年では野外彫刻 “Dexter Head” をポーラ美術館に “Ken”をあさご藝術の森美術館に設置。
2013, 14年スミソニアンナショナルポートレートギャラリーにて展示の’Self-Portrait’が三位入賞。イタリア、トルコ、スイス、日本など多数の国際彫刻シンポジュウムにも参加活躍している。